拈華微笑大法の源流をなす

北海道恵庭市の禅林 大安寺。
厳しくも豊穣な恵みをもたらす北の大地に入植以来、永平寺御直末として篤い信仰を集め、地域の教育や心の拠り所であり続けていらっしゃる。堂宇は近い将来の建て替えを予定されており、ご住職は、まずもって新しい御本尊をお迎えする構想を温めておられました。
禅宗古来の礼拝形式を目指し発願されたのは、一般的な文殊菩薩と普賢菩薩を従える釈迦三尊像ではなく、釈迦如来の両脇に摩訶迦葉尊者と阿難尊者を従える、「拈華微笑の釈迦三尊」。
「拈華微笑(ねんげみしょう)」とは、インド各地を巡っていた釈尊(釈迦)の一団のエピソードと伝わる。霊鷲山で大衆に説法したおり、梵天が一本の華を釈尊に献じたという。釈尊はこれをつまんで示したが、大衆はその意味を理解することができなかった。ただ、摩訶迦葉尊者だけがその意味を理解して破顔微笑したため、摩訶迦葉尊者に禅の法門を伝えたという。
禅門において、以心伝心によって法を体得する妙を示す故実とされる。
この場面を釈尊の開悟した心理が誰かに伝わる最初の一歩であったととらえ、仏教伝播の源流と位置付けたことが、大安寺釈迦三尊制作のテーマとした所以であります。

———— このお像に手を合わせる人々に何を語りかけるのか。 ————

像容を思案するうち思い至ったのは、「拈華微笑」を釈尊の生きた時代の“人間のエピソード”ととらえること。
“人間”としてリアルに表された摩訶迦葉尊者・阿難尊者が、私たちと同じ人間でありながらもやがて釈尊の到達した境地を理解するという、現代を生きる私たちとの連続性を意識いたしました。

釈迦三尊像しゃかさんぞんぞう

中尊 釈迦如来像は、仏像の定尺で言う所の"半丈六”に迫る。像容は、大安寺計画のために新たに創意したもので、理想化された仏像の様式に則って表した釈迦如来像と、写実的に描写する摩訶迦葉尊者・阿難尊者像が同居する。三尊ともに、木曽檜材を寄せ木し、玉眼を嵌入(かんにゅう)する。本体と蓮台には截金の技法を用い、台座と光背では、漆・岩絵具・金箔・プラチナ箔などを用いた荘厳を施している。また、彩色においても再現しようとする素材や部位ごとに濃度や手法を変えるなど、変化に富む質感と、三尊の調和を意図した。2013年にインドを訪れ、仏跡を巡るなかで人々の容貌や身体的特徴を観察し、摩訶迦葉尊者・阿難尊者像制作の参考としている。

釈迦如来像しゃかにょらいぞう

拈華微笑のエピソードから、左手に持つ蓮華に輪宝をのせ、花びらに右手を添える新たな印相を創意している。木曽檜の大径木を使用し、木肌の美しさを生かした釈迦如来像は、金箔によって紋様を施す特殊な装飾技法、「截金(きりかね)」を用いて繊細かつ優美な煌めきを纏う。頭部には1044個の髪の毛を一つ一つ個別に制作し植え付ける「螺髪」や、水晶を顔の内側から嵌め込んで目を表す「玉眼」の技法を施す。台座・光背を彩る漆箔には金粉あるいはプラチナ粉を蒔き付け、しっとりと落ち着いた壮麗さを生んでいる。

高さ3600mm 像高1274mm 仏寸(髪際高) = 三尺七寸

  • 「截金」きりかね

    截金は、紋様の構成はもちろん、線の太さや、余白の取り方ひとつでその印象を大きく変える、総合的なバランス感覚が問われる荘厳技法である。自らの呼吸する風ですら揺らいでしまう金箔。それを自在に扱う緻密な作業をいかに淀みなく継続するか。古来よりその膨大な手間と緻密さから、施す行為そのものが「作善(さぜん)」とされてきた。こうして精緻を極める作業を経て施された紋様は、絵具の金色のように退色することなく、純金の不変性そのままに時代を越えてゆく。まさに仏像の荘厳方法の最高峰と言えるであろう。

  • 新たに構想した印相と持物。釈尊が拈った(ひねった=示した)蓮華にそっと右手を添え、大きく開く蓮華に仏法の象徴とされる「輪宝」を載せることで、仏教そのものが開花するイメージを重ねた。

  • 岩絵具による彩色をほどこした蓮弁。水晶末を用いた透明感のある白、鮮やかな緋色の凹凸の上に截金を施すことによって、独特の煌めきを生んでいる。様々な質感で、部位ごとの表情を際立たせている。

摩訶迦葉尊者像まかかしょうそんじゃぞう

晴れやかに微笑する表情を表し、ところどころにほころびが表現された着衣には、きらびやかさの中にも、頭陀第一を旨とし、同じ衣をまとい続けたとされる摩訶迦葉尊者の長大な旅路を感じ取ることができる。その後半生のほとんどを遊行したとされ、釈尊入滅のときも旅の空の下であったとされる。釈尊の火葬を行おうとした際、摩訶迦葉尊者の到着まで炎が釈尊の体に移らなかったという。

高さ2150mm 像高1590mm 仏寸(髪際高) = 五尺

  • 前傾し曲がった背中と、ほころびた袈裟の表現に、「頭陀行」を自らに課し、永く旅に暮らしたという摩訶迦葉尊者の半生を込めた。

  • 大きく表した足と、痩身だがしっかりした骨格もまた、長大な旅路を支える。


  • 摩訶迦葉尊者ただ一人が釈尊の示した蓮華の意味を理解し、破顔微笑(はがんみしょう)したという。玉眼の潤んだ眼差しのなかに、穏やかな歓喜がこみ上げる。合わせた両掌にも自然と篭る力を込めた。

阿難尊者像(阿難陀尊者)あなんそんじゃぞう(あなんだそんじゃ)

釈尊の従兄弟であり、出家して以来25年間にわたり側に仕えたとされ、多聞第一と称せられる。経典結集に多大な役割を果たし、編纂された内容の多くが阿難尊者の口述に基づくとされる。以下は作者の想像であるが、拈華微笑の場面においては、釈尊の間近にありながら未だ悟りに至らない苦悩を内包する表情を浮かべる。しかし私たちと同じように思い悩んだ彼は、釈尊の死後、教団のその後を協議する席に集まった阿羅漢の最後に悟りを得て、やがて仏典編纂の立役者となるのである。
畏れ多くも、やがて開悟する阿難尊者の落胆と哀しみに、現代を生きる我々との連続性を託した。

高さ2170mm 像高1620mm 仏寸(髪際高) = 五尺

  • ざっくりと肩に掛かる袈裟の端に、大振りなドレープが豊かな立体感を生む。わずかに木目が伺える彩色と、華美になりすぎないように抑制された截金が彩る。

  • すっと合わせた祈りの両掌は、釈尊への尊敬と帰依を表す。

  • 穏やかな視線の中に、かすかな憂いが浮かぶ。悟りに至らない苦悩を内包し、わずかに寄せる眉根が哀しみと思索を表す。

  • 2011年7月 構想に着手
  • 2016年9月 大本山永平寺副貫首 南澤道人老師を開眼導師に拝請し、開眼法要。
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