回帰する胎内

尾張徳川家ゆかりの大寺院 興正寺
境内にそびえる五重塔は時代を越えたランドマークであり、いまなお学問・修行の場として、また人々の信仰の拠り所として地域の文化的な拠点となっている。
2013年。興正寺では大規模な伽藍整備計画(未完)が進んでいました。
その中心事業として銅造の大仏を奉安して新本堂にお迎えし、階下に設けられる新たな祈りの空間を荘厳する計画に参画する事となりました。
舎利堂と名付けられた地下空間の内陣に、不動明王・毘沙門天・弘法大師・僧形八幡神を、舎利塔を護るように配置する計画が進められ、四佛の制作にとどまらず、須弥壇、舎利塔、天蓋のデザインと空間全体の構成そのものを任されていました。この構成は、古く興正寺に伝わる儀式に登場する四佛になぞらえており、古義復古の意味も込められたのです。

———— この空間のコンセプトとは ————

ある時、建築設計士から唐突に問われ、自分なりの考えを述べました。
「地下空間の荘厳計画を考える上で、この大仏の真下に位置する空間を“胎内”ととらえています。階層を隔てており物理的には大仏の像内ではありませんが、そのように考えました。」
「仏像の内部空間には、縁起や願文・舎利器や木札などをお納めすることがあり、本計画においては胎内に見立てた地下階に釈尊ゆかりの舎利をお祀りすることで、その聖なる力を内包する意図があります。」
空間としては静寂でほの暗い。しかし、舎利器を中心に舎利塔と四佛から放たれる温かい光が煌めいている。礼拝に訪れる人々は四佛を巡り、舎利塔に手を合わせる。自然と視線は天井に煌めく天蓋へと移り、いつの間にか釈迦牟尼仏(大仏)の胎内を見上げているのに気づくのです。

興正寺四佛こうしょうじしぶつ

不動明王・毘沙門天・弘法大師・僧形八幡神で構成し、他に例を見ない特殊な群像となっている。 玉眼を嵌入し、鮮やかでありながら落ち着きある色調で絢爛さと気品ある趣をめざした。下地を形成せず、直に着彩することによって下地がシャープな彫刻面を曖昧にしてしまうことを避けている。彫刻刀のタッチとわずかに木目を感じられる彩色の上に截金の煌めきを施した。

不動明王像ふどうみょうおうぞう

日本で盛んに作られる不動明王であるが、インドや中国の遺例は極めて少ないと聞く。不動明王のお姿は、弘法大師が伝えた《弘法大師様(こうぼうだいしよう)》と安然らが唱えた《不動十九観》に大別され、煩悩に惑わされる人々の迷いを利剣で断ち切り、欲の海に溺れる人々を羂索(けんさく=ロープ)で救うと説かれる。像容は、右目で天・左目で地を睨む「天地眼」、左右の牙を上下に向ける「牙上下出」、左頬に垂下する「辮髪」(べんぱつ)を特徴とし、これらは《不動十九観》に基づくが、羂索で救い上げた人々を、辮髪を介して「頂蓮」に導くイメージから、頂蓮を載せる頭頂部は《弘法大師様》との折衷とする。ここでも上へと向かう視線は、階上の釈迦如来への、ひいては胎内へ意識が向かうことを意図している。

総高さ1590mm 像高1050mm 仏寸(髪際高) = 三尺二寸

  • 逆巻く火焔のなかに充実の体躯が屹立する。炎がおよぼす風で、羂索(けんさく)はゆらりとたなびく。

  • 玉眼の瞳に精気を宿す。不動明王の「憤怒相」は単純な怒りの表現ではなく、親が子を叱るような、人々に対する愛情ゆえと説かれる。

  • 火炎光背は不動明王の後ろ姿が見えるよう余白をとって配置し、本計画においての背面からの視線を意識している。 

毘沙門天像びしゃもんてんぞう

仏法を守護するたくましさと、高貴な武人の意志が匂い立つ天部像を目指した。本構成の四躰の中で最も装飾性に富み、その彩色・截金の絢爛さは近年の江場佛像彫刻所の作品を代表するものとなっている。本来は左手に宝塔を持つとされるが、背後に安置される舎利塔が宝塔に該当するため右手に三叉戟(さんさげき)を執るのみとする。岩座には、一見してそれと分からぬように邪鬼を刻む。

総高さ1490mm 像高1090mm 仏寸(髪際高) = 三尺二寸

  • 見上げる「鰭袖」(ひれそで)と「袂」(たもと)は、一陣の風をはらむ。古代裂(こだいぎれ)が腕を覆い、腰につける獣皮が猛々しい。

  • 戟を執る右手と、礼拝者にまっすぐに対峙する視線に、仏法の守護者たる気魂と、男性的な気品を意識した。

  • 堂々たる体躯を覆う「胸当て」「腰当て」「獅噛み(しかみ)」が複雑に重なり合う。精緻を極める彩色と截金が施されたそれらは、甲冑である武骨さを離れ、優美な趣きを放っている。

弘法大師像こうぼうだいしぞう

弘法大師は真言宗のみならず仏教各宗派において尊崇される稀有な存在と言える。一般的には、仙洞御所御料椅子に座し、右手に五鈷杵、左手に念珠を持つ姿が知られるが、本像では水面に浮かぶ蓮華座を計画した為、蓮華上に座している。この姿には、弘法大師幼少期のエピソードを描いた稚児大師を想起した。
弘法大師の文章や言葉を編纂する「御遺告」(ごゆいごう)のなかに幼少の頃の夢想にふれた記述があり、 「吾れ昔生を得て父母の家に在りし時,生年五六の間,夢に常に八葉蓮華の中に居坐して諸仏と共に語ると見き」と記され、過去にもこの一節から蓮華座に座し浮遊する「稚児大師像」が表現されてきた。
本像は仏像の様式に則り、年齢も成人の弘法大師として表すが、「蓮華座に座して諸仏と物語る」イメージを重ねている。

像高535mm 仏寸(髪際高) = 一尺六寸

  • 岩絵具による彩色をおこない、凹凸の上に截金を施すことによって、独特の煌めきを生んでいる。

  • 穏やかな面持ちの中に、行動力と知性を込めた。右手に持つ五鈷杵は、弘法大師所持として伝わる寺宝の姿を写す。

  • 弘法大師の御遠忌の際、瑪瑙・水晶・銀を用いて制作された念珠を持つ。

僧形八幡神像そうぎょうはちまんしんぞう

僧形八幡神とは、神仏習合の思想である本地垂迹説が元になっており、阿弥陀如来が本地仏とされ、僧形で八幡神があらわされる。本像は興正寺開山・天瑞圓照和尚をモデルとしており、「八幡神」と呼びながら仏・菩薩の化身としての天瑞圓照和尚を思わせる。
開山を阿弥陀如来のように(化身として)尊崇してきた、興正寺の歴史の一端が偲ばれる。興正寺には、40代、60代とおぼしき複数の天瑞圓照和尚の頂相(ちんそう=肖像画)が伝わるが、本像では60代の画像に範を得た。
また、弘法大師像との一対としての調和をはかり、様式の統一と呼応する色味とを意識した。

像高540mm 仏寸(髪際高) = 一尺六寸

  • 天瑞圓照和尚肖像画
    =興正寺所蔵

  • 興正寺開山・天瑞圓照和尚をモデルとしており、興正寺に伝わる木彫像や絵像を参考にしている。

  • 右手に持つ如意は寺宝として現存する「天瑞圓照和尚 如意」をもとに制作している。

  • 2013年8月 構想に着手
  • 2016年1月 納佛
  • 2019年3月 四佛は普照殿ホールに安置され、多くの参拝者を迎えている。
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